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アニメ「十二国記」の胸が熱くなる名言紹介

2019 10/13

今回は、いつもお世話になっている上條さん(@MinatoWorks )に、アニメ「十二国記」に出てくる名言集について寄稿していただけることになりました。

なつめ なつめ

上條さんはアニメ作品に詳しいです!

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2019年10月12日、ファンが待ちに待った(待ちくたびれた)十二国記シリーズの新刊「白銀の墟 玄の月」の第1巻・第2巻が発売されます。

そんな十二国記シリーズは実はアニメ化もされており、アニメ「十二国記」では数多くの名言が登場しています。

新刊を読む前にアニメでも振り返っておきたいアニメ「十二国記」の名言を今回はまとめていきたいと思います。

目次

十二国記シリーズとは

十二国記シリーズは小野不由美さんの代表作ともいえる壮大な物語です。

十二国記シリーズは、ファンタジーとリアルが交錯するような物語となっていて、今流行している「異世界召喚ファンタジー」の先駆けとも言えます。

我々のすむ日本と、神仙や妖魔の存在する中国風の異世界は時に「蝕」と呼ばれる現象でまじりあってしまい、その拍子に日本から異世界へと召喚されてしまったりします。

十二国記シリーズの主役と呼べる人物は、そのようにして十二国記の世界へ流されてしまった人間。異世界で、そこでの出会いや別れを繰り返していきます。

十二国記というタイトルが示す通り、異世界には十二の国が存在します。

その十二の各国は王政国家であり、12人の王と12の麒麟(いわゆる摂政みたいな存在)がいます。この麒麟が天の意思を受けて王を選びます。

天が王を選出し、それを麒麟に伝え、麒麟が王を探し出す。

王となったものは人ではなく、神に近い存在となり、よって天の方針に背かず正しく国を統治し続ける限りは不老となり、長く長く国を治めていくことができます。

古代中国では、讖緯(しんい)という予言によって王やその地域の方針を決める思想が存在しました。
十二国記ではこの 讖緯(しんい) という概念が物語の根幹を担っています。


新潮社の担当編集者さんいわく
「全編に貫かれているのは、生きることの難しさと如何に対峙していくかであると思います。」
というように、
生きるコトの難しさとその中でも諦めない強さ両方が生々しく描かれているのがこの十二国記です

アニメ「十二国記」の熱い名言集

アニメ「十二国記」ではステキな名言が多数登場してきます。

今回は印象に残った(心に残った)名言をご紹介していきます。

”心に鞘はいらない”

”心に鞘はいらない”

心というモノは人を救う真心にもあれば、人を傷つける刃にもなる。

しかし、建前や体裁だれにこだわって心を鞘にしまったままだと段々と感情が薄れていってしまう。

本来の自分という人間が感じている諸々の気持ちを押し込めて生きているとついには何も感じないような生き方になってしまう。

だからこそ、心に鞘はいらない。

しかし、その心は誰かを傷つけるために存在しているのではない。

ということを忘れずに生きたいですね。

”自らを統治出来ぬ者に、国土を統治できるはずもない。”

”自らを統治出来ぬ者に、国土を統治できるはずもない。”

プリズン・ブレイクという海外ドラマで囚人の1人T・バックのセリフにこんなのがあります。

We are captives of our own identities, living in prisons of our own creation.

俺たちはみんな自分自身のアイデンティティーに縛られていて、
自分自身の創造の塀の中で生きているんだ。
-セオドア・バッグウェル-

人は生まれながらに自分というアイデンティティに縛られていて、自分が作り出した創造や概念の檻の囚人である。

自分というものが城であっても、檻であってもそれを統治できない限り、自分を超えた存在である「国」を統治することはできない。

感情というものは中島敦の山月記に登場する虎のような獰猛さを持っており、ちょっと油断すると飼い主である自分自身の制御の外へ行ってしまうコトもある。

全ての原点であり、始まりが心や感情だとしたら、まずは人に目くじらを立てる前に、自分という人物や心をきちんと統治しなくてはいけない。

”私は私だ、、、私は、私でしかない!”

”私は私だ、、、私は、私でしかない! やっとわかったんだ、、、
私はただ、私自身でいたいと!王であるとか海客であるとか、そんなこと関係無い!”

私は私。私=私。

これは当然のコトではあるのですが、しばしば自分が所属するコミュニティや立ち位置、肩書きなどによっては
見えてくる景色や有線すべきことが変わってきます。

王であっても、どこまで行っても、私は私。

私自身でいられない苦しさと、しがらみのなかで、それでも最後まで捨てずに守り続けたいのは「私」という部分なのかなと思います。

”生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。”

”生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。
人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人が幸せであろうとしたからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが人を真に幸せにするのですよ”

「禍福は糾える縄の如し」

そう、幸せ半分、大変半分。それが人生だと思う。

多くの人は幸せだけを願ってしまうのだが、実際にスパイスとして苦難や苦悩が時にやってくるからこそ、日常にあるささやかな幸せを幸せとして認識して享受できるのではないかなと思います。

十二国記では、そういった苦難や苦悩に焦点を当てて、それでも強く諦めずに生き抜く人物を繊細に鮮明に描いているところに読者は強い共感を覚えるのではないでしょうか?

”わしのように長生きしても、まだ迷う。”

”わしのように長生きしても、まだ迷う。陽子のような若造に諭される。
人というものはその程度のものじゃ。お前さんが自分を蔑んだり、軽んじたりする必要はない。”

長生きをしてみて、社会経験を積んでいって、ちょっとだけ世界が広がり、わからなかったコトを理解できても
それって世界の片隅をほんの少し理解しただけ。

しかし歳とともに意固地になり、自分よりも若い者の声を軽視してしまうコトもしばしば。

いくつになっても開かれた心で、新しい視点や声を受け入れていくことは大切ですね。

”心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。”

”人はね、景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。”

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではありませんが、人間は自然と感謝の気持ちを持った時に頭を垂れる。

いつでも、小さなコトえも感謝の気持ちを忘れないようにしていきたい、そんな風に感じました。

”たくさんのことがひずんでいた”

”私の生まれた国はそれは豊かだったけれど、良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。
たくさんのことがひずんでいた”

自分が生まれた国は良い国ですか?どんな点が良いと思いますか?

時にはそんな自問自答をしていきたい。

たくさんの歪みの上に成り立っているのかもしれない。

十二国記では王という立場になってしまった主人公も登場するのだが、まさに王ならではの苦悩が鮮明に描かれている。

”正す、ということは、そういうことではないのかしら。”

”正す、ということは、そういうことではないのかしら。
そちらじゃない、こちらだと言ってあげて初めて、正すことになるのじゃない?”

物事を否定することと、正すことは似ているようで大きく違っています。

批判や非難することは簡単ですが、これは間違っていると思うから、どうしたらいいのか一緒に考えよう!とすることが物事を正す第一歩。

今のSNS社会、ちょっとしたコトで炎上する現代への風刺としても刺さる名言ですね。

”民のいない王に何の意味がある。”

”民のいない王に何の意味がある。
国を頼むと民から託されているからこそ、俺は王でいられるのだぞ!”

国というものは、「領土」「王」「国民」の三要素によって初めてなりたちます。

誰もいない一人ぼっちの国で王を自称してもそれは本当の王ではありません。
その地で暮らす国民に、「この国を託されて」初めて王になれるのです。

独裁や押さえつけだけでは本当の意味での王、そして王政とは呼べないのです。

これは国だけではなく、「企業」でも「部活」でも同様。
一つのコミュニティに在籍するその他大勢を満足して導いてこその代表者なのです。

”悪いことは忘れる、いいことは喜ぶ、そうやって生きてくしかねえんじゃないか?”

”辛いことなんてのは、忘れてしまえば終いだ。
生きてりゃそんなこと、際限なくある。いちいち気に病んでも始まらんだろう。
そのかわり、いいこともあるな。
悪いことは忘れる、いいことは喜ぶ、そうやって生きてくしかねえんじゃないか?”

辛いコトは自然と脳が忘れされてくれる。

人間が忘却の生き物であるのは、過ぎ去った辛かったコトを忘れさせてまだ見ぬ素晴らしいコト、忘れがたいコトを心にとどめるスペースを常に持てるようにするため。

時の河を渡って生きていく時に、結局、何に焦点を当てて日々生きてきたのかで、人生というものの景色は大きく変化していきます。

「二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た。」

この言葉を思い出しました。
同じ立場でも目にしようとしたものによって広がる世界は大きく変わっていきます。

アニメ「十二国記」の熱い名言まとめ

十二国記の新刊でもきっと胸を熱くするような、または何かを気づかせてくれるような珠玉の言葉たちがたくさん生まれていくでしょう。

一つの物語を読むとき、また読者もその国の一員として生きている。

十二国記という物語はまだまだ終わらず、新しい出会いや冒険、葛藤、別れが我々読者を待っています。

新刊の発売前に今までの作品を読み返してみると、今までは気が付かなかったステキな名言に気がつくのかもしれません。

寄稿者カミジョーとは

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14年間学習塾で室長を務める
学習塾退職後はフリーランスとして
前職の経験を活かし
今度は初心者ブロガー向けにオンラインサロンを運営する
モットーは
「出藍の誉れ」
心あるウェブ運営者を沢山輩出していくのが今時点の人生の目的

https://nekokick3.com/wordpress/page-2645/

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