今回は、いつもお世話になっている上條さん(@MinatoWorks )に、子供、特にまだ学年の低い小学生の勉強について、どのように考えればいいかについて寄稿していただけることになりました。
我が家の長男は現在(2019年7月)小学校1年生です。彼は数字には強いですが、文字に対する興味が薄く、ひらがながほとんど書けないまま入学しました(入学時点でひらがなが書けない子はクラスで2人ほどでした・・・)
自己主張が強く「強制される」ことについて強く拒否感を示すタイプのため、「勉強をさせる」ことについては常に悩ましく思っています。
上條さんは元塾の先生です。専門家のご意見を聞けるのはとても参考になります。ぜひ、小学校低学年お子様がいらっしゃる方にお読みいただきたいです。
今回はなつめぽーとに寄稿させていただきます。
今回のテーマはなつめさんより
「小学校低学年の子どもへ親としてはどの程度勉強させたらいいのか?」
という題材で寄稿記事を書かせていただきます。
まずはちょっと元学習塾室長だったカミジョーについてです。
2000年から2014年まで某学習塾で教室長を務める
延べ指導してきた生徒は1000人以上。
小学校1年生から高校3年生までに実際学習指導も行ってきました。
所属していた学習塾では定期的に「父母懇談会」というご家庭とお話をする機会があり、
年間で数百回はそれぞれのご家庭とお話をしてきました。
今回はそんな経験から
「小学校低学年の子どもにどんな勉強をさせたらいいのか?」
について書いていきます。
小学校低学年の学習に対するご家庭の意識が子どもの未来を築く
これは良かれ悪かれ、親の学習意識と子どもの学習意識は比例しています。
例外もありますが、子どもは親の背中を見ながら(親の思考を踏襲して)成長していきます。
学習塾で教室長を長年務めて感じるのは、
「親の教育に対する甘さが子どもの選択肢を奪う」
「かと言って、過干渉してもうまくいかない」
「放任主義できちんと成長する子どもは少ない」
この3つは特に僕がご家庭の方に伝えたいメッセージであり、
実際に今子育て真っ最中のお父さんやお母さんに今回の記事は読んでほしいなと心から思います。
さて、今回の記事の主題としまして
「小学校低学年の子どもはどのくらいの勉強をしたらいいのか?」
なのですが、ここで一番大切なのは
親として子どもにどうなってほしいのか?のビジョンが必要という部分です。
よくお母さん方が言われるのは
「勉強だけではなくて、子どもが大きくなった時にやりたい仕事に就いて幸せになってほしい」
という言葉です。
これは僕もとても共感できます。
そして、そんな風にお子さんが将来自分の得意なコトや興味あるコトを仕事にして生活できたらきっと
それはそれで幸せなんだろうなと思います。
しかし、やりたいコトを仕事にする、またはそれで生計を立てるには
ある程度の経験や努力量、適正も必要となってくるのも事実です。
「親の教育に対する甘さが子どもの選択肢を奪う」
親として、高校や大学を卒業し、就職をしてから結婚をして、そして子育て
そんな流れがほとんどだと思います。
実際に大学までは学習というものが枠に入っていてある種の義務であったのですが、
一旦社会にでるとそういった教育や学習というものが枠から離れて個々人の権利となります。
つまり、学習というものから離れてしまう方
反対に、卒業後も自発的に学習を続けていく方で大きく差が付きます。
ここで思い返してほしいのは
・実際に自分自身の就活や進学というものは理想に叶ったものだったのか?
・叶っている場合はどのような努力をしてきた結果なのか?
・叶わなかった場合は何故叶わなかったのか?
ここを思い出してみてほしいのです。
進学も、高校で部活を引退してからの大学受験準備となり時間的に足りなかった
就活も、本当は第一志望だった企業があったのだけど第三志望に甘んじてしまった
など様々な成功体験や反省点を思い出すことができるのではないでしょうか?
そして親になってみてから
「子育ては初めてで手探りで子育てを一生懸命毎日している親としての自分」がいることに気がつくでしょう
一生懸命子育てをすることはとても尊いですし、素晴らしいのですが
それまでの自分自身の人生の反省点などを我が子にはさせたくないと思う方はやはり多いですね
(それが過干渉になりうまくいかないコトも多々あります)
親の学習に対する意識というのは簡単に言えば
「子どもが今リアルタイムで学習しているコトを自分のコトとして理解できているのか?」
ここです。
因数分解をお子さんが勉強している時に
・ああ、因数分解ってあったよね懐かしい
で終わるのではなく
・ちょっと久しぶりに自分も解いてみよう!というアクションが好ましいです。
子育て子育てと言いながら、勉強内容については興味関心が薄いご家庭が多いように感じます。
お子さんの進学や進路も、プロだから学校や塾の先生にまかせておけば大丈夫でしょう
と何処か遠い世界のコトのように感じているご家庭も多いのです。
ここで大きな差を生むのは
「子どもの学習や進路に無関心なご家庭からは無関心な子どもが育ちます」
過干渉や放任主義で子どもがうまく育たない理由
過干渉、放任主義すぎても子どもはきちんと育ちません。
簡単にその原因をまとめてみると
それは子どもの気持ちに起因します。
◯過干渉の場合
子どもの心理
自分の人生は自分で決めたいのに親が介入しすぎてとてもやりづらい
また勉強しなさいって叱るけどもっと違う形で話がしたい
一体何のために叱られているのか理解できない
と反発を生むことが多いです。
◯放任主義の場合
子どもの心理
お父さん、お母さんは僕のコトに関心がないのか
だったら、楽なコトだけやって(どうせ一生懸命やってもちゃんと褒めてもらえない)勉強は後回しでいいや
と殻に閉じこもってしまうパターンが多いです。
小学校低学年の子どもは自分で将来を選べない
ベンジャミン・フランクリンの名言にこのようなものがあります。
” 教育のない天才は、鉱山の中に埋まっている銀のようなものだ。”
Genius without education is like silver in the mine.
教育のない天才というものは、
鉱山で埋まったままの掘り出されれていない銀など鉱物に似ている。
小学校低学年(6歳~8歳程度)はドラクエで例えるなら
・何をしたらいいのかわからない状態
・ダーマ神殿で就く職業を選べない状態
・次の街が何処にあるのかわからない状態
・レベルの上げ方もわからない状態
そんな状態です。
小学校高学年まで上がるとある程度の自我が目覚めてきて
自分はこうしたいのだという意志や好き嫌いが更にはっきりしてきますが、
小学校低学年という年代は、親のリードがないと
自発的に行動を起こせなかったり
またもっと先々の自分の将来について思いを巡らすコトも当然できません。
親として小学校低学年の子どもに対して
「どんな願いを抱き」
「将来にどんな希望を持つのか」
これは簡単に短時間でわかることでも決められることでもありませんが
他人は、無責任です。
学校の先生も友達も部活の顧問も、塾の先生も真剣に我が子の未来を憂いたり
考えてくれる方はほぼいない
という現実を踏まえ、
「子どもの将来をもっとも真剣に心を砕いて考えられるのは親以外いない」
というコトを忘れてはいけません。
人間は放置すると河の流れと一緒で
「低きに流れるもの」です
・勉強しなくていいならしなくていい
・学校に行かなくても怒られないならサボりたい
・ずっとゲームしてても誰も何も言わないならゲームしてたい
・お昼まで寝ててもいいなら、早起きなんてしたくない
これは人間のサガと言うものです。
不登校は不幸じゃないのゆたぼんから見る親の意識の必要性
不登校は不幸じゃない!というキャッチフレーズでとても短い期間、お茶の間の注目を浴びた
不登校ユーチューバーのゆたぼん君
今回の「小学生はどのくらい勉強しなくては行けないの?」
というお題とマッチするのでちょっと触れておきたいのですが、
・不登校は不幸じゃないかもしれないけど機会損失をしているのは確か
・大切なのは登校/不登校の如何ではなく、小学校という期間に何を身につけるべきなのか?
学校に行く、行かないというのは正解がないのでここでは触れませんが
ただ1つ言いたいのは
学校に行かないという選択をすることによって
「得られるもの」と「得られないもの」があるコトを忘れてはいけません。
◯ちなみに小学校で身につけられるモノ(一例)
・小学校で身につけたい集団生活での世渡り術
・自分と他人がいるという社会の縮図の中でトラブらない人間関係の築き方
・根本的な学習するというシステムや方法や習慣
・プチ競争社会の中で生き抜くたくましさ
・嫌いな食べ物も食べなくてはならないという習慣
・宿題という社会人になってもタスクなどが発生する時にタスク処理をするベース
などなど
たかが小学校、されど小学校です。
小学校低学年のお子さんに対して親として最低限した方が良いコト
小学校低学年のお子さんがいるご家庭の方が最低限した方が良いことを最後に書いて生きたいと思います。
・食事を作るとか
・きちんと洗濯をしてあげるとか
・眠れる場所を提供する
などの当たり前な部分は割愛します。
小学校低学年のお子さんがいるご家庭が最低限、子どもにした方が良いコト
それは、
「将来に対する選択肢を減らさないようにしてあげること」
これです。
子どもは生まれたときは無限の可能性を持ってオギャー!と生まれてきますが
僕自身が長年学習塾で先生をやっていて思うコトは
「子どもの選択肢を最も奪えるのは親であり、また与えられるのも親」
よかれ悪かれ、子どもの将来の選択肢を握っているのは親なのです。
まだ小学校低学年だと
・芸術家になりたい
・作家になりたい
・スポーツ選手になりたい
・ネコカフェのオーナーになりたい
・旅人になりたい
など夢を抱いても大きくなるにつれてそんな憧れや夢は尽く変化していきます。
将来のコトはわからないからこそ、
子どもが持つ選択肢を減らさないように
親としてきちんと勉強にしろ、スポーツにしろ、コミュ力にしろ
培える機会は与えてあげる事を止めてはいけません。
大概、学習に対するコンプレックスが強い親はそもそも学習の必要性や意義を理解せずに親になっているので
勉強を軽んじる傾向があり、
また同様に何かしら自分が不得手なジャンルは子どもに望まない傾向があるように感じます。
小学校低学年から英語を勉強する、九九を教える
日記書けるように教える、イラストを教えてみる
どんなアクションでもいいのですが、
親として、子どもに1つでも多くの興味や関心を持たせられるように意識することはとても大切ですね。
”人間は生まれながらにして胸の中にスターを内包している”
”人生が終了するときに、振り返ってほしい
「一体、どれだけのスターを目覚めさせることができたのか?」”
と。
以前のように学歴社会でなくなっている現在ですので、
勉強ができるというのは人生で評価される一部分でしかありません。
しかし、学ぶという意識は向上心につながり
それが仕事でも恋愛でも、趣味でも
この向上心なくして、人は目一杯人生を楽しむことが果たしてできるのでしょうか?
向上心というものを英語、国語、テストなどを通じて身につける
これが学ぶってことであり、勉強をする本当の本来の必要性なのかなと思います。
と最後に問いかけをして今回の寄稿は終了したいと思います。
寄稿者カミジョーとは
14年間学習塾で室長を務める
学習塾退職後はフリーランスとして
前職の経験を活かし
今度は初心者ブロガー向けにオンラインサロンを運営する
モットーは
「出藍の誉れ」
心あるウェブ運営者を沢山輩出していくのが今時点の人生の目的
→ https://nekokick3.com/wordpress/page-2645/